あくまでも通過儀礼としてのZかよ。

機動戦士Zガンダムの劇場版が大ヒット上映中らしいのですが・・・
http://www.z-gundam.net/top.html
普通の人なら(普通のガンヲタガノタなら)、なんでいまさらZなの?と思うでしょう。
というか、「いまさら」といえばガンダムに「いまさら」はつきものなんですけど。

それもこれもみんなZを見ていないSEED(種)世代のためなのです。
ご承知の通り(だとは思わないけど)、現在のガンダムSEENを席巻しているのはとうぜんながら種と、なんかそれの続編なわけですが、そういう後続の作品に対しては、当然「こんなものはガンダムじゃない」というこだわりを持つ人と、「ガンダムと名の付くものすぺてガンダム」というノンポリの人という二つの態度が現れます。
そんな中、新規参入してきた種世代としては肩身がせまいわけです。当然、「ファースト以外は認めない」という層はかなり多いわけですから。あるいは「逆シャア」までならよしとするかもしれない。

そこで、新規参入者としてはファーストなどを鑑賞して、洗礼をすませる事でいかにもファーストを通ってきたかのように振舞うことが出来るのです。ファーストを済ませたフリをするには劇場版の3部作が最もお手軽です。つまり今回のZも、SEED世代の要請を受けた洗礼ツアーの一環にすぎないと推測できるのです。Zガンダムは一年間放送されたアニメですから、それをすべて見るのに比べたらZ劇場版は断然お手軽なのです。

こういった動きは、オタクの本質である「お手軽に物語を消費する」という行為に無関係であるとは思えません。もちろんこの「お手軽に物語を消費する」行為はオタクだけのものではなく、普通の人にもあることで「セカチュウ」などがそのいい例ですが、オタクではそれが顕著であるという事です。

上のパラグラフのような話は、「動物化した社会」であると、東浩紀氏が過去に論じています。もちろん上記のような物語消費の話は氷山の一角の一角なわけなのでこれからいろいろ考えていきたいと思いますが、興味があれば東氏の著作「動物化するポストモダン」がオススメです。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)