カントリーロードしてきました。

耳をすませば [DVD] 異色のスタジオジブリアニメ、「耳をすませば」の舞台のモデルとなった聖蹟桜ヶ丘まで、チャリで行ってきました。<というのは単なる日記でしかないのでここまでにするけど、百草園の駅前を通り、多摩川の土手を走って、聖蹟桜ヶ丘駅からいろは坂を上り、あの伝説のロータリーまで行って来たと言う訳です。
伝説のロータリーというと、チャージマツダ787Bとかそういうことではなくて、地球屋という「耳すま」の物語の中で重要な位置を占めるお店があることになっている場所です。
このへんのことは、結構なジブリ好き(のような輩は相当いそう)でないとわかりずらいと思いますが、映画を見直したりすると、あー、あー、あーと思えるとこです。

さてそこで、このような行為を振り返ってみると、ある物語の情景を自分の身を持って楽しんでいる自分は、シチュエーション・プレイをしていると言えます。分かりやすくエロい例でいうとイメクラなんかも同じようなものであります。
このような物語消費のスタンスはコスチューム・プレイとかなり似通っています。
両者とも、自分を物語のキャラクター、場面の扮装をすることで物語をなぞり、消費しているということは同じです。また、それらを複合したプレイも考えうることが出来ます。

またそれらは、オタクなんて・・・という普通(ノンオタク)の人々の消費行動にも当てはめられる話です。例えば、イニシャルD 頭文字(イニシャル)D (31) ヤングマガジンコミックスが好きなのでハチロクに乗っている(オタク感あり)、浦澤直樹の「20世紀少年」が好きでT.REXを聞いている(いかにもありげ)、セカチュウで泣いたのでオーストラリアまで行ってしまった(あるあるあるある)。と、いう風にかなり無理をしたけど、普通の人々が、アイテムを購買することによって小さな物語を消費している事がなんとなくわかったでしょう?小さな物語を消費、あるいは小さな物語の小さな消費・・・まあ、いいや。

なんでこんな事を書いたかというと、最初にあったドギツい例、コスチューム・プレイもその物語消費の延長で考えられるのではないかという事です。偉そうに言ってるけど上記のような話を経なくとも、直接的に分かる人にとってはそりゃそうだ、ということです。
しかし、その比較的理解しやすい欲望とは裏腹に、実際の行動としては理解が難しいものであると僕は考えるわけです。そうです、僕個人が、さっぱりコスチューム・プレイを理解出来ないわけです。そうであるがゆえに気になるわけです。コスチューム・プレイヤーとは何ぞや?と。だからといって自分もやってみようなどという気は毛頭ございません。

またしても、ゆるーい話になってしまいました。そしてあやしーい話にも。
いいんです。ヒンシュクを買ってでもブログをやると覚悟したわけですから。