ブログタイプの弊害

フジテレビの番組「ブログタイプ」はブログを再現ドラマ化する番組である・・・


http://www.fujitv.co.jp/blogtype/index2.html
しかしここで言及されているのは厳密にはWeb日記であり、ネタのないTV局が「ミラクルタイプ」と同じことをWeb日記を再現ドラマ化することでやっているだけである。
つまりWeb日記=ブログという認識なのである。このような認識はブログの可能性を大きく狭める弊害となる。
厳密にはWeb日記とブログは違うのである。ブログをWeb日記としてしか使えない人はそういう発想しかないのである。
例えば僕が利用している「はてなダイアリー」は、エントリー中で言及したキーワードに対するデータベースが存在し、さらにそのキーワードを言及した日記のデータベースが示される。また、他のブログでもコメント、トラックバックによって、ブログとブログがつながっていく(理想的には)。という風な「知のデータベース」への試みが見られる。
さらにブログには告白装置として新たなる可能性がないともいいきれない。これについては後日述べるかもしれない。
しかし、日本語の持つ性質のせいなのか、私小説的なものが大好きな人が多いようで、結局ブログは日記になってしまう。(それでも面白いものは面白いが)ブログとしてはWeb日記になってしまった時点で終わりなのだ。そんなのはWeb日記でやればいいのだ。ブログはアンチオシャレな告白としてヒンシュクを買いながら日常の祭りを繰り返していくべきなのだ。と高らかに宣言する。
しかし、いずれにしてもWeb日記にもブログにそんなに期待する気になれないのも正直な気持ちだ。インターネットというのは、憂鬱な希望でしかないのだ。
憂鬱な希望としてのインターネット (ダ・ヴィンチ・ブックス)